月別アーカイブ: 2016年5月

クリスタルエンジェル

おはようございます。

本日はこれ

60901-turuta-clistal

 

 

そう、今回も鶴田一郎先生の版画作品からクリスタル・エンジェルです。
2003年制作 リトグラフ(36版/36色)
イメージ497 x 359mm ED200

人気のエンジェルシリーズです。今から15年弱前の作品です。

昨今ジクレで制作されることが殆どですが、この作品は歴としたリトグラフです。モノクロカラー作品になりますが、まなざし同様人気のあった作品です。額装・シートのクオリティーも良いこの作品を西尾展にて現品を展示致しますので、是非お楽しみにしててください。

クリスタルエンジェルのお問い合わせについては

090-7681-7598 田村までお気軽にどうぞ!

 

愛知県,名古屋市,展示会,美術品,絵画,版画,陶器,木彫,ブロンズ,鶴田一郎,ガラス工芸品,買取,オークション,原画,委託販売,彫刻,美術品買取,版画買取,絵画買取,田村和彦,トイプードル,原画価格,鶴田一郎価格,美術館,画廊,鶴田一郎,展示会

シャイニングエンジェル

お世話になります。

伊勢志摩サミットも終わり交通規制も解除され普段の東海地方に戻りました。

来月に開催されます鶴田一郎美人画の世界西尾展に向けて仕入作業も活発になってきております。

早々と入庫が決まりました作品がこれ

090

そうシャイニング・エンジェルです。
1998年制作 リトグラフ
サイズ395 x 284mm ED200
人気のエンジェルシリーズです。

フレームもシートの状態もかなり良いです。エンジェルシリーズで人気の高い作品です。

是非、会場にてご覧くださいませ。

シャイニングエンジェルのお問い合わせは

090-7681-7598田村までお気軽にどうぞ!

愛知県,名古屋市,展示会,美術品,絵画,版画,陶器,木彫,ブロンズ,鶴田一郎,ガラス工芸品,買取,オークション,原画,委託販売,彫刻,美術品買取,版画買取,絵画買取,田村和彦,トイプードル,原画価格,鶴田一郎価格,美術館,画廊,鶴田一郎,展示会

片岡球子

お世話になります。無事にサミットも初日が終わりました。

市内の交通も結構な規制がかけられ、信じられない場所で検問してたりします。無事に早く終わってほしいですね。

そんな中本日はこれ・・・・・

 

2e7458c949a824734a4d24831516f7414356d576 im_masters-201310_23 img746f04b8zikazj kataoka_tamako 画廊 丸善 片岡球子2

 

そう片山球子です。最初はこの色使いに度肝を抜かれました。決して上手?では無い作品・・・・その型破りな構成と大胆な色使いから、一部の人々からその画風は「ゲテモノ」とまで呼ばれて思い悩むが、小林古径から「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ… あなたの絵を絶対に変えてはいけない…」と励まされました。球子は美しく描くことが全てではないと信じ、自身の信念に従った創作を続け、やがて従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立した事は有名です。

片岡 球子(かたおか たまこ、1905年明治38年)1月5日2008年平成20年)1月16日)は、昭和平成時代に活躍した日本画家である。日本芸術院会員・文化功労者文化勲章受章者。北海道札幌市出身。

  • 1905年(明治38年)1月5日、 北海道札幌市に生まれる
  • 1922年(大正11年)、北海道庁立札幌高等女学校(現・北海道札幌北高等学校)師範科を卒業。画家になることを決意。女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科入学
  • 1926年(大正15・昭和元年)、女子美術専門学校卒業。神奈川県立横浜市大岡尋常高等小学校教諭に就任
  • 1930年(昭和5年)、日本美術院再興第17回展入選(「枇杷」)。研究会員になる
  • 1935年(昭和10年)、日本美術院絵画部第19回試作展入選。「炬燵」が試作賞受賞
  • 1938年(昭和13年)、日本美術院絵画部研究会員研究会で「寒空」が大観賞第一賞受賞
  • 1939年(昭和14年)、日本美術院絵画部研究会で「新緑」が大観賞第二賞受賞。第26回院展入選(「緑陰」)。院友に推挙。以後毎回入選
  • 1942年(昭和17年)、日本美術院絵画部研究会で「祈祷の僧」が大観賞受賞
  • 1946年(昭和21年)、安田靫彦に入門。第31回院展無鑑査出品作「夏」が日本美術院賞受賞
  • 1948年(昭和23年)、第33回院展入選「室内」が日本美術院賞受賞
  • 1950年(昭和25年)、第35回院展入選「剃髪」が日本美術院賞・白寿賞受賞
  • 1951年(昭和26年)、第36回院展入選「行楽」が奨励賞・白寿賞受賞。このころ東京芸大山本豊市教授より彫刻デッサンを学ぶ
  • 1952年(昭和27年)、第37回院展入選「美術部にて」が日本美術院賞・大観賞受賞。日本美術院同人に推挙
  • 1955年(昭和30年)、横浜市立大岡小学校を依願退職。女子美術大学日本画科専任講師に就任。横浜市南区大岡町から東京都世田谷区粕谷町に転居
  • 1959年(昭和34年)、日本美術院第14回春季展に「海岸」を出品。以後1969年(昭和44年)第24回展まで毎回出品
  • 1960年(昭和35年)、女子美術大学日本画家助教授
  • 1961年(昭和36年)、院展出品「渇仰」が1960年(昭和35年)度文部省買い上げ優秀美術品に。片岡球子日本画展で火山がテーマの作品発表。以後、富士山をテーマとするまで6~7年間、各地の火山を取材し作品制作、第11回芸術選奨文部大臣賞を受賞(院展出品作「渇仰」および個展の諸作品において日本画界に新風を送り、特に人物画の解釈に新生面を開いた)。第46回院展に舞楽テーマの初作品「幻想」出品、文部大臣賞受賞。日本美術院評議員に就任
  • 1962年(昭和37年)、第5回現代日本美術展に「桜島の昼」「桜島の夜」招待出品。初の渡欧。フランスイタリアイギリス各地の美術館を巡る
  • 1965年(昭和40年)、女子美術大学日本画科教授に就任
  • 1966年(昭和41年)、女子美術大学客員教授、愛知県立芸術大学日本画科主任教授に就任。「面構」シリーズ制作開始。このころから「富士山」シリーズを製作開始
  • 1970年(昭和45年)、北海道庁の依頼で「函館街頭風景」を制作(道庁赤レンガに展示)。神奈川県藤沢市辻堂東海岸に転居
  • 1971年(昭和46年)、第56回院展に「面構一 葛飾北斎」「面構二 東洲斎写楽」出品。面構シリーズ初の浮世絵師作品
  • 1973年(昭和48年)、定年により愛知県立芸術大学客員教授
  • 1975年(昭和50年)、自伝「情(こころ)ありて」執筆 第59回院展出品作「面構 鳥文斉栄之」が第31回日本芸術院恩賜賞受賞[1]。院展六十年の歩み展に「面構 安藤広重」(1973年(昭和48年))を出品
  • 1976年(昭和51年)、秋の叙勲で勲三等瑞宝章受章
  • 1978年(昭和53年)、日仏現代美術パリ展(パリグラン・パレ)に「喜多川歌麿」出品。国際交流基金買上げ。第27回神奈川文化賞受賞
  • 1981年(昭和56年)、日本美術院理事に就任。NHKテレビ番組「女性手帳(球子画ばなし)」出演、放映
  • 1982年(昭和57年)、日本芸術院会員に就任。
  • 1983年(昭和58年)、第38回春の院展に「ポーズ1」出品(初めての裸婦作品)
  • 1986年(昭和61年)、文化功労者に選ばれる
  • 1989年(平成元年)、第42回中日文化賞受賞[2]。文化勲章受章
  • 1990年(平成2年)、藤沢市名誉市民に選ばれる
  • 1993年(平成5年)、愛知県立芸術大学教官・卒業生と約20年かけた「法隆寺金堂壁画模写」全32面が完成、一般公開
  • 1996年(平成8年)、愛知県立芸術大学美術学部に愛知県奨学基金として1億円寄贈
  • 1998年(平成10年)、日本美術院創立百周年記念展東京展に「面構 豊太閤と黒田如水」(1970年(昭和45年))「ポーズ15」(1997年(平成9年))出品
  • 1999年(平成11年)、都営地下鉄大江戸線築地市場駅構内の「ゆとりの空間」に設置される「江戸の浮世絵師たち」原画制作
  • 2000年(平成12年)、「熱き挑戦・・片岡球子の全像」展が横浜美術館で開催
  • 2008年(平成20年)、急性心不全のため103歳で死去。叙従三位
  • 2014年(平成26年)、名古屋御園座の緞帳、画「富士に献花」が日本体育大学世田谷キャンパスに寄贈される。日体大除幕式は2015年3月に行われた。

片岡球子の作品についてのお問い合わせは

090-7681-7598 田村までお気軽にどうぞ

愛知県,名古屋市,展示会,美術品,絵画,版画,陶器,木彫,ブロンズ,鶴田一郎,ガラス工芸品,買取,オークション,原画,委託販売,彫刻,美術品買取,版画買取,絵画買取,田村和彦,原画価格,鶴田一郎価格,美術館,画廊,鶴田一郎,展示会,artbond,ARTBOND,
アートボンド

長谷川潔

お世話になります。

東海地方はサミットが始まりますので、交通に規制がかかります。車を使われる方はどうぞ気を付けて時間に余裕を持って運転されてください。

そんな中、本日はこれ

06 3780a65655364b6e825046912d0f59881 8673f98fba2cf43555d6041fc9ff5d3f1 C-12001 chou(l)

長谷川潔です。メゾチントで有名です。このメゾチントの制作工程を知るとメゾチントの凄さがわかります。少しやってみたことがありますが、それはそれは緻密で大変な作業でした。銅版画の勉強には必ず出て来た作家さんです。

 

(はせがわ きよし、1891年(明治24年)12月9日 – 1980年(昭和55年)12月13日)は大正・昭和期に活躍した日本の版画家。

1918年(大正7年)にフランスへ渡り、様々な銅版画の技法を習熟。特にメゾチント(マニエール・ノワールとも)と呼ばれる古い版画技法を復活させ、独自の様式として確立させたことで有名。渡仏して以来、数々の勲章・賞を受けたが、一度も帰国せずにパリで没しました。

  • 1891年(明治24年)12月9日:誕生。
  • 1898年(明治31年):横浜市戸部小学校に入学。
  • 1902年(明治35年):大阪に移住。大阪市立愛日小学校に転校、卒業。大阪市東区第三小学校に入学。
  • 1903年(明治36年):東京に移住。鞆絵高等小学校に転校。
  • 1911年(明治44年):菱橋洋画研究所に入り黒田清輝に素描を学び始める。
  • 1912年(明治45年・大正元年):本郷洋画研究所に入り岡田三郎助、藤島武二に油絵を学び始める。大森に転居。
  • 1913年(大正2年):自画自刻の創作板目木版画や木口木版画・銅版画を製作し始める。『仮面』主催洋画展に「幕の女」など木版、ガラス版、銅版もよる作品12点を出品する。
  • 1916年(大正5年):広島晃甫(広島新太郎)、永瀬義郎と共に日本版画倶楽部を結成。
  • 1918年(大正7年):フランスに渡る。
  • 1928年(昭和3年):春陽会会員。
  • 1931年(昭和6年):日本版画協会創立会員。
  • 1935年(昭和10年):フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章。
  • 1939年(昭和14年):第二次世界大戦勃発。
  • 1943年(昭和18年):ミシェリーヌ・M・ビアンキと結婚。
  • 1945年(昭和20年):パリ中央監獄、ドランシー収容所に収監される。
  • 1964年(昭和39年):フランス芸術院コレスポンダン会員。
  • 1966年(昭和41年):フランス文化勲章を受章。
  • 1966年(昭和41年):現代日本美術展で特賞を受賞。
  • 1967年(昭和42年):勲三等瑞宝章を授与される。
  • 1980年(昭和55年):京都国立近代美術館で大回顧展「銅版画の巨匠・長谷川潔展」が開催された。
  • 1980年(昭和55年)12月13日:死去する。

 

長谷川潔の作品のお問い合わせは

090-7681-7598 田村までお気軽にどうぞ

愛知県,名古屋市,展示会,美術品,絵画,版画,陶器,木彫,ブロンズ,長谷川潔,ガラス工芸品,買取,オークション,原画,委託販売,彫刻,美術品買取,版画買取,絵画買取,田村和彦,トイプードル,原画価格,長谷川潔価格,美術館,画廊,長谷川潔,展示会

前田青邨

おはようございます。毎日暑い日が続きます。

まだ夏前ですので、今から体力をつけておかないと先が思いやられます。

春日井展のお問い合わせを頂いております。ありがとうございます。

新作の”あなたへ”も展示致します。現品を見てから決めたいな!という方がいらっしゃいましたら是非ご確認くださいませ。

またエンジェルシリーズやビンテージな作品・そして原画も多数展示致します。

そんな中、本日はこれ・・・・

f2f9ec60d156766ddf90dac9a258d502

kouhakubai%2012-00934%20400 maeda_seison seison-u4 9797acd15be41dbaa90dc5391c765b075e26d21d

そうです。前田青邨です。岐阜県中津川のお生まれです。

青邨は歴史画を得意とし、大和絵の伝統を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示しました。その中でも武者絵における鎧兜の精密な描写は、ことに有名で1955年(昭和30年)に文化勲章を受章するなど、院展を代表する画家として活躍しました。晩年には法隆寺金堂壁画の再現模写や高松塚古墳壁画の模写等、文化財保護事業に携わり、その遺志は青邨の弟子の平山郁夫等にも引き継がれている。

岐阜県中津川市に青邨から寄贈された本画や下図などを展示する青邨記念館があります。青邨の代表作の1つ「洞窟の頼朝」は2010年(平成22年)に重要文化財に指定されました。

  • 1885年(明治18年)1月27日、岐阜県恵那郡中津川村(現中津川市)で出生。食料品屋(乾物屋)を営む父常吉、母たかの次男だった。本名、廉造といった。
  • 1898年(明治31年) 上京し京華中学校に入学するが体をこわして中途退学、帰郷。
  • 1901年(明治34年) 再び上京し、尾崎紅葉の勧めで梶田半古に入門
  • 1902年(明治35年) 半古から「青邨」の雅号を貰う。梶田半古の弟子は小林古径をはじめ雅号に「古」の字を貰うことが多かったが、青邨以降は奥村土牛を含め「古」を貰っていない。
  • 1907年(明治40年) 紅児会に入り、今村紫紅、小林古径、安田靫彦らの俊英とともに研究を続ける。
  • 1911年(明治44年) 下村観山の媒酌で、荻江節の家元 初代荻江露章こと佐橋章子の妹すゑ(荻江露友)と結婚。
  • 1912年(明治45年) 健康を害し、神奈川県平塚に転地療養する。
  • 1914年(大正3年) 再興された日本美術院の同人となる
  • 1915年(大正4年) 朝鮮旅行
  • 1918年(大正7年) 日本美術院評議員に推挙される
  • 1919年(大正8年) 中華民国へ旅行
  • 1922年(大正11年) 事業家・望月軍四郎の援助で小林古径と共に日本美術院留学生として約1年間渡欧。アッシジで観たジョット・ディ・ボンドーネの壁画などイタリア中世の絵画に感銘を受ける。
  • 1923年(大正12年) 大英博物館にて中国・東晋の名画「女史箴図巻」を模写して帰国(模写は東北大学附属図書館が所蔵)
  • 1930年(昭和5年) 「洞窟の頼朝」で第1回朝日文化賞受賞
  • 1935年(昭和10年) 帝国美術院会員となる。御即位記念献上画「唐獅子」を制作
  • 1937年(昭和12年) 帝国芸術院会員に推挙される
  • 1943年(昭和18年) 満洲・支那旅行
  • 1944年(昭和19年)7月1日 帝室技芸員に推挙される[1]
  • 1950年(昭和25年) 文化財保護委員会専門審議会委員に就任
  • 1951年(昭和26年) 東京芸術大学日本画科主任教授に就任。翌年より平山郁夫が青邨の助手となり、爾来指導を受けることとなる
  • 1955年(昭和30年) 文化勲章受章、文化功労者。中津川市名誉市民となる
  • 1956年(昭和31年) 日本美術家連盟会長に就任
  • 1957年(昭和32年) 川合玉堂の後を継いで香淳皇后の絵の指導役となる
  • 1958年(昭和33年) 日本美術院常務理事
  • 1959年(昭和34年) 国立近代美術館評議員
  • 1960年(昭和35年) 訪中日本画家代表団団長
  • 1962年(昭和37年) 東京芸大名誉教授
  • 1964年(昭和39年) 日光二荒山神社宝物館の壁画「山霊感応」完成
  • 1967年(昭和42年) 法隆寺金堂壁画再現事業総監修に安田靫彦と共に就任
  • 1970年(昭和45年) 皇居新宮殿石橋の間に1955年(昭和30年)に謹作した壁画「石橋」を加筆。新たにその左右に「紅牡丹」「白牡丹」の二面を制作
  • 1973年(昭和48年) 高松塚古墳壁画模写事業総監修者
  • 1974年(昭和49年) ローマ法王庁からの依頼によりバチカン美術館に納める「細川ガラシア夫人像」を完成
  • 1977年(昭和52年) 10月27日、逝去(92歳)、贈従三位

前田青邨の作品・お問い合わせは

090-7681-7598 田村までお気軽にどうぞ!

 

 

愛知県,名古屋市,展示会,美術品,絵画,版画,陶器,木彫,ブロンズ,前田青邨,ガラス工芸品,買取,オークション,原画,委託販売,彫刻,美術品買取,版画買取,絵画買取,田村和彦,トイプードル,原画価格,前田青邨価格,美術館,画廊,前田青邨,展示会